昨夜、電車に揺られていたときのこと。
混み合った車内を進んでいくと、奥の席に座っていた若者が立ち上がり「どうぞ」と声をかけてくた。譲られるほどの歳ではないと内心思ったものの、その言葉に逆らわず丁寧にお礼を述べて腰を下ろた。
自分では若いつもりでいたが、外から見れば、すでに充分老人なのだろう。
65歳を迎えたあたりからだろうか。「もう自分は成長しない」と思うようになった。
成長は若者の特権であり、年齢を重ねれば変わらぬ日常を静かに受け入れるもの、そんなふうに考えていた。
だが最近、それは少し乱暴な決めつけではないか、と思うようになった。
速度こそ緩やかになっても、私たちは日々の中で少しずつ何かを得ている。それは新しい知識かも知れないし、変わらぬ習慣の中での気づきかも知れない。
成長とは、かつてのような”変化の速さ”ではなく、”変化を受け止める柔らかさ”なのかも知れない。
「今日より明日へ」。若い頃には眩しすぎて直視できなかった言葉が、今では乾いた響きを持って影のように心に残る。
日々、デジタル作業が増え、知らない言葉に出会うたび立ち止まり、課題から目を背け逃げ出したくなることがある。
しかし、そこで歩みを止めてしまえば、本当に「過去の人」になってしまいそう。老いることは止むを得ないが、「古くなる」ことはできれば避けたい。
自分のペースで歩みは緩やかに、けれど止まらぬように。まあ、ボチボチとやります。
スタジオアオラ 店主